【行政書士開業2年目】ついに飛込営業始める。
2024.10月2日より、飛込営業をやり始めました。
約1年前半前(2023.5)から考えてはいたことですが、やっと実行に移しました。
このとき(2023.5)は、宅建の受験することを優先させました。
加えて、宅建合格後、実務経験を積む機会に恵まれたので、そっちに注力していました。
今回は、諸々が片付いたので、満を持して飛込営業を開始ました。
実に証券会社を辞めて以来、7年ぶりです。
わざわざ飛込営業をする主な理由をご紹介します。
理由①:地元だが知り合いが「ほぼ0」なため
私の現在住んでいる群馬県の大泉町は地元です。
高校までは地元に住んでいましたが、それ以降は地元におりません。
かつほとんど帰省していません。ゆえに基本、知り合いがほぼ0です。(数名だけいます)
ちなみに、高校がちょっと前に文化祭にいった太田高校です。
たまたま文化祭をやってることに気が付き、1996年に卒業して以来、18年ぶりに太田高校に行ってみました。
46歳のおっさんになっても、勉強をする習慣が継続しているのは、この太田高校で叩き込まれたからです。
当時はシンドかったですが、今では良い経験をさせてもらえていたのだと感謝しています pic.twitter.com/hwD8B7jwia
— 川島和秀(行政書士・1人法人社長|群馬県邑楽郡大泉町) (@hm_ceo_) June 2, 2024
この太田高校が地獄のようなぺースで授業が進むので、ついていくのに四苦八苦していました。
というか、ついていけずに、ヒーヒーいいながら必死で2年生の後半になるまで過ごしていました。
この時点で私の中では友人と遊ぶ心の余裕など全くなく、時間があれば勉強するしかないくらい追い込まれる日々でした。
人によっては、うまくやりくりして遊ぶこともできたのでしょうが、私は無理でした。
ある意味で、ひきこもりの性格(人と一緒にいないで自分で考えて行動する)が形成されたのは、この太田高校の勉強漬けの日々がもたらした結果と言えます。
が、その当時は地獄と思っていましたが、今では感謝しています。
大学は慶応大学に行けました。(1浪ですが)
当時は大したことないと思っていましたが、社会人になると慶應ブランドは超強力で、勝手に自分の能力を30%くらい増しで評価されるような実感があります。
脱線しましたが、高校卒業するまでしか地元にいなく、引きこもり体質ゆえに、それ以降も友人との交流もなく、知り合いがほぼ0なわけです。
が、知り合いが0でも、私は困ることもなく、充実した毎日を過ごせています。
むしろ1人でいることを望んでいます。
だがしかし、行政書士として仕事を地元の人から受注しようと思うとそうはいかないわけです。
知り合いがいないなら、「これから作る」しかありません。
ないならば作ってしまえホトドキス精神です。
というわけで飛込営業なわけです。
理由②:実際に会って、自分を知ってもらうため
仕事はよくわからない人には頼みたくありません。
私自身もよくわからない人は仕事を頼みたくありません。
そのために、ネットにこのブログ含め、自分の開示をしています。
おかけさまで、少しは仕事の依頼を受けるようにはなりましたが、地元からではありません。
せっかくなら、地元の人からも受注できるようにしたいと考えるのは普通の流れと思います。
というわけで、だったら実際に訪問して挨拶して、知ってもらおうとなるわけです。
速攻性はありませんが、5年~10年タームで考えた場合にはやっておいた方が良いだろうという判断です。
幸い、私は独身で1人身なので、生活に困るようなことはなく多少の余裕があります。
ゆえに、ゆっくりと時間がかかっても良いという考えで飛込営業を開始しました。
※証券会社の営業時代、新規開拓は得意分野だった
私は証券会社で営業を17年やっていました。
売買しまくって手数料を稼ぐということは苦手でしたが、新規顧客を開拓することは得意分野でした。
多くの営業マンが難航不落とする顧客であっても開拓して、大口資金を入れてもらうということを良くやっていました。
それができた理由もある程度自分なりに理解できています。
通常の営業マンは手数料がほしいので、とにかく売買しようとするの普通です。
私は一切そんなことは考えていませんでした。
生意気にも入社後の最初の研修会で「数字にこだわらない(手数料売買しない)営業マンになる!」と豪語しています。
しっかり顧客の話をじっくり聞き、その人が潜在的に求めるものを把握し、それを提案するわけです。
その顧客が富裕者層であれば、合致したときには・・・。
そんなことを好きでやっていたので、その経験を今回にも応用していけば、一定の成果はでるだろうと思っています。
このあたりは楽しんで自分のペースでやっていきたいと思っています。