どんな信念をもって野村證券に入社していたか?~2001年入社当時の記録~
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↑拳をつきあげ目標を宣言するウサギ。
私は2001年(H13)に野村証券に入社しました。当時は2000年のITバブルが崩壊した直後で、就職氷河期と言われていました。
私は本命でサイバーエージェント(2次面接落ちる)、そのつぎGMO(当時インターQ。1次面接で落ちる)で就職活動していました。堀江さん率いるライブドアは当時オンザエッジという社名で、3社ライバル関係っぽい状態でした。
IT系に進んでいたらどんな人生だったのだろうと、ときどき思うときがあります。
これらの会社が不合格になって、テキトウにウケた野村證券で内定をもらい、就職活動が面倒になって野村證券に決めたという流れです。
就職活動自体は2週間で終わりました。2週間で終えることができて幸運でした。
野村證券に入社した2001年当時、日経平均は12000円で、2003年に7600円になるまで下げ続け、買うものは全部下がる時期でした。
その後2003年~に小泉内閣誕生で一転して株価は暴騰しました。銀行株が数倍になる大相場の到来でした。
当時のお客様はかなり儲けていただくことができました。そして、私はかなり特殊な営業をしていました。
ひたすら売買する営業マンが多い中で、売買せずにひたすら持ってもらって、含み益を出してもらうということをやっていました。それなりに大きい利益を出したりしていました。(品がなくなるので金額はぼかします)
たぶんこのとき、私がゴリゴリした収益重視の営業マンだったら、たぶんトップ営業マンになっていた可能性があったと思えます。
通常は大きな利益に育つ前に、そんな利益があるなら売買して手数料を稼げ!と上席に怒られるわけです。が当時は上司に恵まれ、何も言われなかったため、好き勝手な営業をしていました。
次の支店に移動したときに、当時の上司になぜこんなに含み益をもったまま放置しているんだ!と怒られたものです。
私は顧客の話をよく聞いて、深く会話をして他の人より大きなお金を入れて株を買うが得意でした。
が、一方で手数料は稼げない営業マンだったので、野村證券にとってはいらない社員に育ちつつあったわけです。
いわゆる資産家の懐にうまく入り込むのが得意でした。そのことを知る一部の人は、ひきこもっていないで、富裕者層にアプローチするビジネスしろよ!と言われたりします。
が、顧客の話をよく聞いて、深い会話をするというのは、結構疲れます。今だと、正直、やる気になれません。気楽にひっそりと引きこもっていることで満足しています。
そんな私ですが、2001年の入社当時どんなスタンスで野村で営業をしようとしていたか?がわかる資料を見つけたので共有する意味で公開しておきます。
2001年入社直後の研修で発表する自己宣言書
2001年当時、入社するとすぐに研修になりました。その研修は数か月に及びます。
そして研修のたしか最後の方だったと思いますが、どんな野村マンになりたいのか?を宣言する時間がありました。
当時の同期が宣言したものが1冊の本でまとめられ、それをもらいました。
それが下記の自己宣言書です。私以外の人のものもあります。
せっかくなので、私がどんなことを書いたか?をご紹介します。
見開きで2ページ分です。
数字にこだわらない野村マン・人をすぐに理解できる野村マンになると宣言
当時、野村証券といえば、営業数字をあげてナンボの会社です。全員が数字にこだわるのを当然としていました。
私が、堂々と数字にこだわらない野村マンになりたいと言いました。今でも覚えていますが、「それはめずらしいと多くの人に笑われた」のを覚えています。
数字のこだわらないの意図は、数字にこだわるあまりに顧客の意向を無視して無理くり商品を販売しないという意味でした。
そのことは、2つ目の宣言たる、人のことを理解できる野村マンになりたいということにも表現されています。
一部、黒塗りにしているのは、当時の私の2次面接をしてくれた面接官の名前を書いているために伏せています。
三つ子の魂百までといいますが、まさに、私は入社時のこの考え・信念を踏襲して野村證券人生を歩んだと言えます。
完全にサラリーマン・組織人として不適な考えをしていると我ながら思います。そのため出世はしませんでしたが、まったく後悔はありません。
一応、私の言うことにほぼ信じてくれて売買してくれた顧客は、ほぼ利益になっています。この点は良かったと思っています。
野村の社員は基本、損させることが多いからです。
3つ目に宣言したのが、株を扱うことが社会で高ステータスになるようにしたいというものです。
株を扱うことが社会で高ステータスになるようにしたい
2023.7時点でもそうかもしれませんが、株=バクチというイメージが一般にはあると思います。
それを「株」は希望の象徴であり、株を扱うことが高ステータスになるようにしたいという願望も宣言しています。
今でも、この思いはかわらず、このブログでもちょいちょい資産運用できる投資家がもっとも難易度が高くかつ最高級の職と書き続けています。
そして、実際に私がひきこもり生活を続けらる理由の一つに資産運用で運用益が一定確率であげられるからだと思っています。
約20年以上経っていますが、野村證券に入ったときの思い・考え・信念は、今現在もビックリするくらい変わっていません。
そんなわけで、ご紹介させていただきました。