群馬県立太田高等学校は在学中は地獄だったが、後の人生に大きなプラスになった。
↑2022年時点の太田高校のランク偏差値68みたいです。
自分のことを振り返るとこの太田高校に入学できたことが自分の人生に大きなプラスを与えたと思ってます。
群馬さん
実際に過ごしていた3年間は地獄(勉強漬けで嫌でした)で、これが今に至る引きこもりの性格を形成する根幹になっているものです。
が振り替えてみると、その経験は、何にも代えがたい値千金の色々な面で人生に好影響を与えてくれた貴重なものであったことが、40歳半ばのおっさんになると理解できます。
そう私が感じる理由をご紹介しています。
目次
太田高校を受験するまで
正直に自分の学力にはほとんど無頓着でうっすらしか覚えていません。
かすかに覚えている記憶では、中学2年までは、かなりいい成績をとっていたように思います。学年で1位~5位くらいの成績は安定的にとれていた気がします。
が中学3年くらいになると、正直、勉強する気があまりなくなり、夜遅い時間まで遊びにいくような自堕落な生活になり、かなり学力は落ちたと思います。ほとんど記憶がありません。
たぶん相当悪かった気がします。
が、学力が相当下がっていたと思われるが、なぜか高校受験では太田高校を受験しました。まあ、なんとかなるっしょ、落ちたら落ちたでいいやくらいの超軽い気持ちで受験しました。
受験もたぶん落ちただろうなくらいに思っていて、合格発表も見にいきたくなく、昼くらいになってやっと見にいったところ、奇跡的に合格していました。
よくこんな博打みたいな受験をしたなと今思うと恐ろしく思います。
入学後は超ハイスピードでカリキュラムが進み、一瞬で落ちこぼれ
入学後のことは今でも鮮明に覚えています。
中学卒業してから、高校入学までの春休みの1~2週間で宿題が鬼のようにでました。
特に数学が鬼でした。今はどうだか知りませんが、太田高校は数学に力を入れていたように思います。
1~2週間でやっといてという宿題がざっくり以下
①数学の1年生の教科書を全部読んで全問解け
②それを踏まえて問題集(約400問)を全部解け
私の感想は、「絶対無理でしょ。高校入学前に1年の問題全部終わらせろ!って意味不明なんだけど。」
でした。
が実際は、本当に恐ろしいペースで進んでいきました。
中学までなら、1ぺージ1ページ丁寧に説明して進んでいきますが、太田高校では「ハイ、この解法は〇〇。これであとの5問も同じ。だから後は各自やっといて!」的に進んでいきました。
最初の授業で20ページ(教科書の10分の1)くらい一気に進んだと思います。
それで数日後にもうテストになります。多くの生徒がついていけていないため、テストの点が100点満点中5点とか10点が続出し、平均点が15点とかでした。
太田高校に入学する人なら、以前いた中学では、テストは100点を連発していると思いますが、ここで多くの人が5点~10点をとるという太田高校の洗礼を受けることになりました。
恐ろしいことに、このペースは変わることなく、ずーとこのペースで進んでいきました。
その恐ろしいペースで進む勉強スピードのため高校2年の半ばまでに高校で学ぶ予定の全カリキュラムが終了します。
そんな状態のため、遊ぶ余裕もなく、日々勉強に追われる日々が続いていきました。(引きこもりになる原型がここにあります)
高校2年半ばで文系・理系に分れる。~数学受験する文系を選ぶ~
高校2年半ばで高校での全カリキュラムが終了にあたりで文系と理系に分れました。
ここで太田高校の超ハイペースに進む数学についていけている人が理系を選び、数学についていけない人が文系を選ぶような状態になっていました。
私も最初は数学についていけないので文系を選びましたが、後から、負け犬っぽくて嫌だなと思い、数学ができる文系という立ち位置を選びました。
一般的に私立文系であった場合は、英語・社会・国語で受験する人が大半でしたが、私は私立文系でも英語・数学・国語で受験する戦い方を選びました。
これは、後々、かなり有利に受験ができるようになったので、結果オーライだったと思います。
英語に関しては、結構できました。
英語のターゲット1900を買って、ほぼ全部暗記すると英語の偏差値が劇的に上昇しました。1900の英単語を覚えただけで、英語ではほぼ学年でトップクラスになりました。
こんな簡単になるの?と拍子抜けしました。クラス内では1位を数回とり、英語の全国模試でも偏差値75オーバーになることもありました。
英単語を覚えただけで一躍トップクラスになりました。
ただ英語の点数がムラッケがあり、できるときとできないときの落差が大きく、この当時はその理由を分析していませんでした。
高校3年から強烈なキャッチアップ期
高校3年から勉強を遅れを強烈にキャッチアップできるときでした。
そういうのも、当たり前で、超ハイスピードで進む授業は高校2年の半ばですべて終わっているため、キャッチアップできる時期が到来です。
これ以上新たに覚えるものがないため、やれば追いつけるという状況のため、勉強時間がモロに点数になりやすい、やりがいのある時期でした。
勉強を1日10時間~15時間しても、特段、苦にならない耐性ができたのは、この太田高校の3年間が基盤になっています。
やったことは自分に必要のない授業をガン無視して、自分の勉強にあててました。
今思うと、英語以外の科目の学力が中途半端で終わっていたように思います。
偏差値のイメージだと英語(70)数学(60)国語(55)社会(60)くらいだった気がします。
総じて平均よりは高いですが、難関大学に挑戦するにはちょっと届かないレベルだったと思われます。
浪人したときのように、しっかり自己分析して合格確率の高い大学を受ければ合格できたと思えますが、そうせずに無策で適当に感覚で大学を選んだためにすべて不合格になっています。
現役時受験した大学はすべて不合格
現役時は、たぶん偏差値65くらいだった気がします。
数学を受験科目とする文系でした。(社会も得意)
センター試験は800点満点中680点?くらいだったかな。(微妙な点数だった記憶)
何も考えず、偏差値ランキングで65より下の大学を受ければ合格するでしょ!と軽い気持ちで志望大学を受験して全滅した記憶。
国立は東北大学法学部。私立は中央の法学部を受けて、あとうる覚えですが立命館大学法学受けた気がします。
全く対策せずに、ただ偏差値ランキングで受験したために、当然のごとく不合格になりました。
東北大学に関して、受験会場の確認すらしていなかったため、当日迷って、15分遅れるだらしなさでした。
そもそもが東北大学にいきたくないと本能的に拒絶していたんだろうと今になると思います。
現役のことは、いくらなら国立で一橋大学、私立で中央大学法学部でした。(今改めて思うと、なぜ一橋大学を受けようと思わなかったのか?謎です。)
↓でなぜ不合格になったか?を分析し考察しています。
※比較的に若いうちに長時間勉強した経験がないと、大人になってからも勉強できない可能性が大。
なぜに私が太田高校での経験が人生に大きなプラスになったと思うかの理由は、この長時間勉強することができる耐性ができたことです。
私の中では「勉強する=10~15時間勉強する」というのがある意味当たり前になっています。
この感覚があるだけで、その後、多くのことを勉強しようと思う時に、比較的容易に開始することできると思うからです。
1日2時間~3時間の勉強なら、やっていないのと同じくらいの体感は40歳半ばのおっさんになっても同じです。
行政書士の受験生のツイッターをみていると勉強時間少な~!と思う人が散見されます。1日30分とか1時間を勉強した!とツイートしている人もいます。
私なら1日2時間~3時間の勉強なら、やっていないのと同じくらい感覚なのに、たぶん高校時に勉強した体験がないと1日30分とか1時間でも勉強した気になるのだろうとビックリしました。
そういう意味で相応の長い時間勉強をすることが普通である感覚が標準装備でインストールされたのが太田高校での経験だろうとありがたく思っています。
その一方で、人によると思いますが、私の場合は、長時間勉強することが比較的に苦労なくできるようになった反面で、他人に興味をもったり、遊んだりしたいという興味はほぼなくなりました。
引きこもりの性格が完成したのもこの高校時代の経験がベースになっています。
引きこもりというと孤独で寂しそうとうイメージがあると思いますが、私の体感はそうではなく、一人でいても寂しさを一切感じずストレスフリーで心の平穏を保てる良い状態と思っています。
jojo4部にでてくる吉良吉影の心境です。
そう意味で私は太田高校での経験は在学中は地獄で好きになれませんでした。連絡を取り合う友人も一人もいません。(高校時代に限った話ではありませんが・・。)
が、今は貴重な経験をさせてもらって、私の人生をかなり良い方向に導いてくれる基礎になる素養がはぐくまれた場所であったと年をとってから、かなり良く思っています。