一人法人の社長でもある川島和秀の日々の活動記録です。

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ひきこもりには「孤独」と「孤高」がある。その違いとは?

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↑私の引きこもりに対するイメージは左側「孤高」です。世間的には右側「孤独」でしょう。

 

ひきこもりに対して、私は「良いイメージ」を持っています。

 

おそらく、世間一般のイメージでは、他人とコミュニケーションがとれなくて(とる能力が未熟)なため、1人にならざるをえない可哀そうな人というのではないでしょうか?

 

が、しかし、私はそうは思っていません。

 

私が思うひきこもりとは、他人とコミュニケーションをとることができる(とる能力もある)が、イチイチ他人に説明して、理解してもらうのがめんどうなために、あえて1人でいることを好むというものです。

 

イメージとしては「孤高」です。

 

孤高: ひとり他にぬきんでて高いこと。孤立しつつ、自らの志を守ること。また、そのさま。

 

たぶん世間一般のイメージのひきこもりは「孤独」でしょう。

 

孤独:精神的なよりどころとなる人や、心の通じあう人などがなく、さびしいこと。

 

ひきこもりにもスタンスがあるというわけです。私のひきこもりスタンスは「孤高」だと思っています。(※他人からみると、孤独と思われているかもしれませんが。)

 

同じひきこもりでも、「孤独」ではなく「孤高」であるべしと私は思っています。私が勝手に思っている孤独と孤高の引きこもりの違いを紹介します。

 

※他人様の価値観を否定するものではなく、あくまで私が勝手にそう思っているということを書かせていただいています。

 

「他人に自分を理解してもらいたい」という気持ちがあるのは「孤独」のひきこもり。

 

孤高はあえて、自分で一人を選んでいるわけです。スタンスとしては、「別に自分のことを理解してもらいたいとは思っていないし!」です。

 

私自身がサラリーマンを辞め、起業してひきこもりとなった初期のころは、色々と相手に理解してもらえるように説明したりしていました。

 

まだサラリーマンを続けている同僚等に、起業してどんなことをしているか?どれくらい稼げたか?などを延々と話すわけです。

 

があるときに気が付きました理解してもらえたからと言って、別に何も変わらないということに。ただの自己満足なわけです。

 

なおかつ、説明するのに相当な時間をかかります。下手するとざっくり話するだけでも30分くらいかかります。

 

だんだんその時間がめんどくさ~と思うようになりました。そして別に他人に理解してもらいたくて、生活しているわけでないし!という自分の心の中の本音に気が付くわけです。

 

つまり、この相手に説明する時間って意味なくねえ?単なる時間の無駄じゃねえ?と自覚するようになります。そこで、「別に自分のことを理解してもらいたいとは思わないし」となるわけです。

 

以上のような過程を経て「孤高」にたどり着くわけです。

 

逆に自分のことを理解してもらいたいという気持ちが強いのであれば、それは自分の引きこもりスタンスが孤高ではなく、「孤独」でしょう。

 

心の通じあえる人が欲しいと思っているからこそ、自分のことを理解してもらおうと思っていると推定できます。

 

むしろ、コミュニケーション能力が低いがゆえに、自分が意図せずに「孤独」になってしまったとも言えます。それを認めたくないために自分は「孤高」だと思い込んでいる可能性があるため、そこは冷静に自己分析する必要があるでしょう。

 

自分が「孤独」のひきこもりであった場合は、無理にひきこもらず、コミュニケーション能力が低いことを自覚して改善する努力をするべきと思います。

 

本心で望んでいるのは、ひきこもりではなく、「心の通じあえる人が欲しい」である可能性が高いと推察できるからです。

 

一方的に話をする、話が長い人も「孤独」のひきこもり

 

ひきこもっている人と話をする際に、一方的に話をしてくる、または話が長いという場合も「孤独」のひきこもりであると思えます。

 

一方的に話をしてくる、または話が長いということは、「自分のことを理解してもらいたい」という思いが強いためと思います。

 

そうでなければ、通常はめんどくさいので必要最低限しか会話はしないでしょう。

 

実際に、私がこのブログのように毎日せっせと自分が考えていること書いている理由も、無駄な話・会話をしないためです。

 

わざわざ会話をしなくても、私が何を考えていて、どういう人なのか?がわかるように、会社で言えば、決算説明資料を公開しているようなものです。

 

私のことを知りたいと思う人なら、ブログを読むでしょうし、別に知りたいと思わない人なら読まないでしょう。

 

知りたいと思わない人なら、当然、話かけてこないでしょう。

 

知りたいと思う人なら、ブログがあることで、事前に一定のことを知ることができ、便利だと思います。その結果、大幅に会話をカットでき、コミュニケーションコストを下げられる効果があると思っています。

 

最初から深い会話をすることが可能にもなるでしょう。

 

わざわざ、自分のことをわかってもらうために、一方的に話をしてたり、長々と話をする必要は一切ないわけです。

 

※「孤高」と「孤独」の最大の違いはコミュニケーション能力

 

孤独は、心の通じあう人が欲しいと思っているのに、コミュニケーション能力に問題があるために望まずになってしまうものとも言えます。

 

孤高は逆です。コミュニケーション能力が一定レベルであるものの、必要以上に人との接触を望まず、あえて自分から一人になる場合です。

 

他人からみると、「どっちも1人やんけ!」と見えるかもしれせんが、当の本人の心の在り方は全く異なると思います。

 

また観察をしても、孤高のひきこもりの人は楽しそうに生活してます。他の人から見ると意味のない無駄っぽいことをやっているように思えるかもしれませんが、本人は全力で楽しんでいるわけです。

 

他人にどう思われるか?などは関係なく自分で楽しみを見つけて実際に楽しめているのが「孤高」です。

 

一方で、孤独のひきこもりの方は、どことなく寂しい印象で、楽しんで生活しているようには思えません。本音では、心が通じ合える人がほしいと望んでいる可能性が高いわけですから、寂しい雰囲気になるのも理解ができます。

 

「孤高」のひきこもりを可能にしやすいのが資産運用能力。

 

孤高のひきこもりにしても、一人で生活できるのかい?というのが疑問に持ちやすいでしょう。

 

通常なら、生活費を稼ぐために仕事をしなければなりません。仕事をするとなると通常は人と接することになります。ひきこもるなど言ってられないでしょう。

 

が、株式に代表する資産運用能力がソコソコあれば、引きこもりが可能になります。

 

株式などの資産運用というと難しいイメージがないでしょうか?確かに資産運用は難しく、私自身も最高難易度だと思っています。

 

大きく稼げる可能性もありますが、それ以上に人生が破滅する可能性もあるので、むやみに参入するのは危険です。

 

40歳以上で投資未経験なら、原則今後もやらない方が良いと私は思っています。

 

資産を半壊させてしまうリスクがあるからです。40歳を超えてから、資産を半壊させたら挽回するのが通常はかなり大変です。人によっては人生がハードモードに突入することになるでしょう。

 

20歳~30歳くらいまでなら仮に資産が半壊しても挽回できるチャンスが40歳台よりもあるため、積極的に経験すべきと個人的に思っています。

 

一方で40歳以上で投資未経験で唯一やってもよいのは、積み立て投資に思います。(銘柄選定が大事ですが)

 

積み立て投資であってもバカにしてはいけません。月額2~3万でも、毎月積み立てて20年くらい経過すると投資金額が2倍~3倍になる可能性が高いです。

証券会社出身者がidecoを20年以上運用するとどうなるか?(一部有料です)

 

2年前くらいから遅ればせながら積み立てNISAを開始しましたが順調です。2年半で25%増えています。

 

 

 

積み立て投資は20年投資すると99%損しないことがデータでわかっています。だからある意味で公金である年金で株式運用ができるわけです。

 

1%損するやんけ!と思う人がいるかもしれませんが、それはリーマンショックやコロナショックのピンポイントのド安値で売った場合に、わずかに損するレベルです。

 

が、わかっていてもできない人が多いのは、目先の利益を欲しい人が多く、ずっと先の利益を重視できないためと思います。

 

40歳台でも積み立て投資をやっておけば、おそらく65歳以降に訪れる2000万問題のかなりの部分を解消できる可能性が高くなるでしょう。

 

※そうはいっても投資は自己責任です。投資をする場合は各自の判断でお願いします。

 

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