1記事作成に平均2時間かかる。どうしてそんなにかかるか?それでもやっているのはなぜか?
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私はブログの1記事を書くのにざっくり2時間くらいかかっています。
というのも日々のくだらない日記記事を禁止した前提で1500文字以上の記事を毎日書くと決めているからです。
人によっては、そんな時間もったいないと思うでしょう。
一部の知り合いにブログを書くことを薦めましたが、「成果(収益)がでるかどうかわからないものに時間は投じられん」と否定されました。
たぶん、多くの人がそういう心理状況だと推察します。
観察しているとわかりますが、通常の人は「短期ですぐ成果がでるもの」を望みます。長期では考えないものです。
かつ「確実に成果がでると約束」されていないもの以外は確率がかなり高くでも嫌がる傾向です。
私はなんで、そんな苦行みたいな毎日更新をしているか?といえば、10年くらい先を見込んで成果がでる(収益化できる)と思っているからです。
仮にでなかったとしても、成果を出そうとする試行錯誤自体を楽しめているのでそれはそれでよいと思っています。(※実際はすでに成果が少し出ていますが)
多くの人がやらないことをやって成果がでれば、強力な参入障壁に守られて、かなり長期的にリターンを得れるという見立てです。
そのために1記事書くのに平均2時間をかけても、せっせとブログ記事を書いています。
実際にどんなことに時間がかかっているのか?をご紹介します。
一気に1500文字以上書けない場合も多い
もう600日以上毎日更新を続けていますが、いまだに一気に1500文字以上書けるのはマレです。
その日で自分の関心を持っていることを書くのであれば、簡単に1500文字以上書けます。
が人は昨日と今日で考えに違いは通常はでません。
同じようなことを毎日書いていては、読み手への配慮に欠けています。
ゆえに、なんとか違う主旨の記事を書こうと頭をひねるわけです。
しかも、その記事で1500文字以上を書かねばなりません。ネタよりもこの文字数が結構厄介です。
そのために、1500文字以上書けるかわからないけど、とりあえず書いてみるということをします。
私の経験上、だいたい1000文字くらいまでなら、割とすぐに書けますが、あとの500文字がなかなか出てこなく時間がかかります。
とりあえず1000文字まで書いて、ちょっと休んで、何か書き足せそうなことはないか?と思案します。
そして思いついたことを書き足して、1500文字以上にまとめ上げます。
この工程が終わると、ざっくり2時間になっていることが多いわけです。
文脈、誤字脱字、文字のレイアウトもチェックする
単純に1500文字以上が書ければ投稿して終わりではありません。
投稿した後に、何度も読み直してチェックします。
最低でも5回くらいは読み直します。
主にチェックするのは文脈です。
文章が自分ではない第3者が読んでも伝わるか?という視点で何度も読み直します。
次に文章の間隔(レイアウト)も確認します。
私の文章は、やたらと改行が多いと思いますが、その意図はスマホでみたときに、2~3行ごとに改行されるようにしているためです。
文章がぎっしり詰まっている文章は読みにくいと思うために、間隔をあけるようにしています。
がこれは半分、自己満足でやっています。自分が自分の記事を読んだときに読みやすいからやっています。
誤字脱字は気を付けてチェックはしてますが、文脈に私の注意が向いているために、見落とすことが多いです。
そのため、私のブログでは結構、誤字脱字は多いと思います。
正直、そこまで細かくチェックする余裕がないというのが本音です。
この作業も1時間くらいはやっていると思いますが、この時間は前述の2時間には含めていません。
ようは、結構たかが1記事に時間を使っているわけです。
そんな苦行をする理由の一つは、「自分の書いた文章」で収益化するため
上記のような、まあまあな時間を使ってブログを毎日更新している理由の一つは「自分の書いた文章」を収益化するためです。
※収益化だけが目的ではありませんが。
自分の書いた文章で収益化は難しいですが不可能ではありません。
売れる文章が書けるようになると、その後の人生がかなり楽になると思えます。
老後の良い暇つぶしにもなります。
収益化できなかったら、「時間使って損じゃん!」と感じる人も多いと思いますが、ある意味で自分の生きてきた記録です。
5年後、10年後に読み返してみると、自分のことと言えども面白く読めるものです。
個人的はどう転んでも損しないと思っています。
ブログは過去の蓄積があってこそ、価値が高くなりえると私は思っています。
将来的にどこまでの価値になるのか?楽しみに将来を向かえることができると思っています。
生きていくうえで、「もしかしたらスゴイことがおきるかもという希望」があるのとないのでは、QOLに大きな違いがでると私は思っています。