日記ではないブログを毎日更新することで、ブログの存在が優秀・有能な受付になりうるという話。
↑ブログはこういう受付のような役割になりえます。
私は2022.5.18よりブログを毎日更新しています。それが2023.7.4時点で411日目です。
たまに書くのがシンドクなるときもありますが、完全に習慣化しているので、ほぼ無意識のうちに書けるようになりました。
300日くらい継続して毎日書くことでそのような習慣化に成功しました。
私がこだわっているところが1500文字以上書き、日々の日記を書かないということです。
こういう苦行を自分に課したのは、日々の日記系なら書く意味がないと個人的に思っているためです。
私がブログを書くことの意味は、会社でいうと会社説明会をイメージしています。
会社が会社説明会で、「今日のラーメンうまし!」や「暑くなりましたね~。夏バテしないようにがんばりましょ~」みたいことを話していたらどうでしょう?
会社の中身がわかりませんし、見えてきません。
そうならないように、ブログでは私が何を考えて、どんなことをやっているか?で可能な限り人柄や考え方がわかるように気を付けて文章を書いているつもりです。
その結果、「このブログが受付のような役割になってきた」と感じるようになってきました。
その点をご説明します。
ブログを読んでいないことで相手の真剣度が瞬時にわかる
典型的な例が、営業の電話を受ける場合です。
「代表様ですか?私どもの会社は〇〇を扱っていまして~」と話をしてきますが、そもそもで私は、その会社が扱っている〇〇が必要ではありません。
私がブログを書いていなければ、百歩譲って、そのウザイ営業電話も許容しなければいけないかもしれません。私が何を考えているか?等が発信されているものがないためです。
が、私はブログに私の考え方や何をしているか?などを毎日書いています。
全部を読まなくても、断片的に気になるところを読めば、わずかなりでも私のことをわかるでしょう。
私としては、私のブログを読んだか?どうか?で相手の真剣度や営業スタンスがわかるわけです。
私は営業する前に相手のことを調べないでアプローチするのはナンセンスと思っています。
つまりブログを読んでいるか?どうか?でシャットアウトすべきか?を判断できるわけです。
読んでない人には、「そんな人と話をしても時間の無駄!」となり、いわば受付でお引き取りくださいと、社長室までたどり着けない状態になります。
ブログを読んでいる人なら話が早い
逆にブログを読んでくれている人なら、こっちがイチイチ説明するまでもなく、私のことをある程度、知っていてくれています。
これほどありがたいことはありません。とても便利で、かなりのコミュニケーションコストの軽減ができます。
この効果も数記事あるだけでは意味がありません。毎日、しっかりと日記ではない記事を投稿しているからこそ、効果を発揮するわけです。
これから付き合う人はブログを読んだ人に限定していった方がスムーズで問題が起きにくいように感じています。
そういう意味でブログが完全に微妙な人(残念な人)は通しませんよ!という受付の役割になってきていると思います。
これはブログを書き始めたときには想定していないことで嬉しい誤算です。
優秀・有能な受付を無料で永久に雇ったようなものです。
さらに、いまやブログのアクセス解析をすれば、どの記事がどのくらい読まれていたか?がある程度わかるようになっています。
IPアドレスもわかるので、同じ人間がどれだけの記事を閲覧したか?もある程度把握できます。
※これからブログをある程度広めていこうと思う
少し前までは、ブログを読まれると私の心の中を見られているようで、恥ずかしいので、書いているものの、見られなくても良いと思っていました。
見たいと思った人のために、読める状態にしておくことが大事だと思っていました。
が、ブログにどうやら受付の機能があることが理解できたので、これから、ある程度広めていこうと思っています。
恥ずかしい気持ちよりも、人を瞬時に判別できるメリットの方が大きいと思うようになったからです。
ブログ毎日書いているから見てね!と伝えといて、後はその人が読むかどうか?をチェックすればいいわけです。
その後、まったく読んでいないことがわかれば、受付を通過させないわけです。
表面上は、丁寧に対応しますが、「心の中では、こいつはアウト!」と短い時間で人間性の判別に利用できます。
とても便利に思います。何かをするにしても、わかってもらえる人と付き合った方がストレスが少なくスムーズに話が進みます。
ブログが優秀・有能な私設受付に育ってくれたわけです。
ただ、そうなるまでに、このブログでも大量の時間をつかっています。1記事で平均2時間はかかっています。411記事で822時間も使っている計算です。
社労士の勉強に使っていたら、合格できていたかもしれない時間です。
よかったか?どうか?はよくわかりませんが、思わぬ副産物を生み出してくれて嬉しく思っています。