【自分の過去】私の勉強のルーツ(勉強をするようになったきっかけ)は進研ゼミ
懐かしい進研ゼミです。たぶん今はベネッセコーポレーションと呼ばれているように思います。
私は45歳(2023.9時点)になっても、多少なりとも勉強をしているのは、幼少期から勉強をする習慣があったためです。
もっとも大きな影響は与えたのは高校時の太田高校のときです。
群馬県立太田高等学校は在学中は地獄だったが、後の人生に大きなプラスになった。
がそもそも太田高校は当時でも県内有数の進学校で、進学できたのは120名くらい生徒のうち、5名だけでした。
120名中の半分が女子とすると、太田高校は男子高なので実質60名中5名なので上位10%でないと合格できないレベルだったと言えます。
というわけで、その太田高校に入る前提として、そもそもの学力がまあまあ高い状態になっていないとダメだったわけです。
その学力の土台を作ってくれたのが進研ゼミだったと思えます。
今、思うとどうして受講するようになったか?は謎ですが、気が付いたときには進研ゼミを受講していたように思います。
ある意味で私の学力の基礎を作ったのが進研ゼミだったと言えます。
進研ゼミをやっていなかったら、たぶん今に至るまで勉強するような人にはならなったでしょう。
勉強すれば良いというものでもありませんが、私はまあまあ満足しているので、良かったと思っています。
進研ゼミの何がよかったか?を記憶をさかのぼって、まとめてみます。
目次
テキストがとてもわかりやすかった(やれば学校のテストで高得点がとれた)
テキストが異常にわかりやすかった記憶があります。
最初に数ページ、テキストがあり、その後に問題がでてきます。そのサイクルが絶妙で負担なくサクサク進められました。
いわゆる理解度が高くなりやすいと言われるイナズマ勉強法です。テキストを通読してから問題をやるのでなく、テキストを小分けにして、テキスト→問題→テキスト→問題とイナズマのように繰り返すやり方です。
その上で、その問題に回答ができるようになると、学校のテストでも高得点がとれるようになっていました。
2023.9時点で思うと、「高い精度で学校のテストで高得点がとれるように連動したテキスト・問題が作れる」ことに驚きます。
たいした負担でもないのに、学校のテストで高得点がとれることから、何の抵抗感もなく、ずっと続けられたように思えます。
昔のことなので、美化されて記憶に残ってるだけかもしませんが。
赤ペン先生と呼ばる通信添削もソコソコ利用した
月1回くらいでテキストが送られてきて、巻末に返信するテストが付けられていました。
そのテストが赤ペンで添削されることから赤ペン先生と呼ばれていたように思えます。これはまあまあ利用していたように思えます。
良い点数を取ると、巻末に名前が載ることがあり、名前を載せて確認するのが楽しみで利用していた記憶があります。
今思うと、「そんなので喜んでやっていたんだな。単純だな」と我ながら思います。
正直、この赤ペン先生はあまり役には立っていないように思いますが、当時は律儀に問題を解いては通信添削を受けていたように思います。
よくわからない付録が良くついてきた(当時は喜んでいた)
ちょいちょい、よくわからない付録が付いてきたように思います。
今思うとどうしようもないものばかりに思いますが、当時の記憶だと、それでも喜んでいたように思います。
実験の器材なども送られてきて、喜んで使っていたように思います。
そういう意味では継続して勉強が続けられるように進研ゼミ側が色々と考えていてくれたんだろうと思えます。
※たぶんに普通に勉強しているだけなら、勉強しなかったかもしれない
今思うと、進研ゼミで、負担なく勉強して学校のテストで比較的簡単に高得点がとれるようになっていたことが幼少期のからの勉強の習慣化に成功したのだと思います。
そういう意味では、早い段階で進研ゼミを見つけることができて幸運だったのかもしれません。
もし、進研ゼミがなかったら、そこまで勉強をしなかったようにも思います。
学校の教科書を読んで勉強しようなどとは思いにくいからです。
その進研ゼミがきっかけとなり、学校で上位の成績をとれるようになり、結果、県内有数の進学校の太田高校に入学できる学力の下地になったと思えます。
そして太田高校が慶応大学の合格に繋がり、それが行政書士試験の合格になり、いまの勉強する流れにつながっていることになります。
勉強する習慣のない場合は、年を重ねてもない場合がほとんどです。そういう意味では勉強する習慣がもてたことは値千金かもしれません。
そしてそのルーツをたどると幼少期の進研ゼミだったのだろうと思うに至ります。