一人法人の社長でもある川島和秀の日々の活動記録です。

どうして人の話を聞かない人(会話が通じない人)に育ってしまうのか?

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※私は2017年より約5年引きこもり生活をしていますが、話を聞かない人(会話が通じない人)にならないように細心の注意を払っています。

 

他人と話をしていると会話が通じない人がチョイチョイ存在していることに気が付きます。

 

私はほとんど他人と会話をしてませんが、youtubeで討論形式の番組をみていると、かみ合わない人が頻繁に登場してビックリします。

 

「よくもこんな会話が通じない醜態をさらせるなあ」とある意味で関心します。

 

トークテーマに沿った専門家が登場する場合は高確率で会話が通じない人になっています。

 

番組の演出上で会話が通じないでお互いにトークバトルを繰り広げる方が視聴者が増えるというデータがあり、あえて会話の通じない人をブッキングしているのかもしれません。

 

私はそういう人を見ながら、どういう人生を生きてくればこういう会話が通じない人間に出来上がるのか?を反面教師として自分なりに仮説を立てて考察することをしています。

 

番組の中以外の実生活でも会話が通じない人はいます。

 

会話が通じない人と話をしなければならないとき、かなりの苦痛を伴います。

 

が、どうしてそうなってしまったか?を想像し、理解することで、苦痛を我慢し、相手に寄り添えるようになれないか?と言うことを期待する意味もあっての分析考察です。

 

私なりに、人の話を聞かない人(会話が通じない人)の性格および、どうして人の話を聞かない(会話が通じない)のに生活ができているか?を分析したいと思います。

 

①「知らない」ということ相手に思われないため、とにかく一方的にマシンガントークをする。

 

まず思い浮かぶのが、知らないことを相手に気が付かせないために、一方的なマシンガントークをして会話をうやむやにしている可能性があります。

 

典型例が、政治家の答弁です。

 

質問に対しては、端的に的確に答えることをせず、遠回しに関係ないけど、関係ありそうな具体例を延々と話しして、「最終的にやたら話をしたけど、何言ってんの?」という着地にもっていく手法です。

 

「このラーメンの隠し味は何でしょうか?」と聞いても、「そもそもラーメンというのは4000年の歴史があり、最初はソバのように食べられていました。そして・・・。つまりはそういうことです。」

 

で、結局は、ラーメンの隠し味は何でしょうか?という結論には一切に触れません。

 

この手法はいわゆる専門家と言われる人も良く使っているのを目にします。

 

本来なら知っているだろうと思うことを、答えられないときに、「知っている限りのことを話して、答えたっぽいことを装う」作戦だと思います。

 

いっけんすると時間だけならしっかり会話をしているように思えます。

 

が、話をしている中身は「ラーメンは隠し味は何でしょうか?」の質問に対して、「ラーメンは夏よりも冬に食べる人が多い!」みたいにトンチンカンな返答していることがほとんどで会話が成立していません。

 

つまり、このように「ラーメンは隠し味は何でしょうか?」に答えることができないときに隠すために会話を成立させない可能性が考えれます。

 

要は、プライドが高く、知らないことを知らないと言えない性格、もしくは知らないと恥ずかしいと思える場合の防衛本能が発動した可能性が高いと思われます。

 

わからなければ、わからないと言えば「秒」で会話は次に進みますが、無駄にマシンガントークをされるので、「会話通じないな」と疲労感だけが残ることになります。

 

 

②別の意見(反論)=「自分の人間性の否定」と思い込んでいる可能性

 

自分と違う意見を持つ人の考えの受け入れ方には大別して2つあると私は思っています。

 

一つは「そういう意見もあるんだ」と思って聞き入れることができる人です。

 

もう一つは、「違う!と真っ向否定」して受け入れない人です。

 

私は人の話を聞かない(会話が通じない)人は、「違う!と真っ向否定」して受け入れない性格をしていると予想しています。

 

人間は人の数だけ違う考えをしていてもおかしくないので、単純に「そういう意見もあるんだ」と聞きそうに思いますが、そうはなりにくいようです。

 

たぶん、自分の意見と違うものを「人間性の否定」のようにとらえているように感じます。

 

人間性の否定であれば、人は誰しも簡単には受け入れなく、感情的に戦闘モードになるでしょう。

 

実際に、私は人の話を聞かない(会話が通じない)人は会話の途中で感情的になっている人が多い印象を受けます。

 

色々調べるとこうなる人の深層心理は「自分に自信がない」にあるようです。

 

自分に自信がないゆえに、少しの反論でも、「自分をバカにされているや、見下されている」つまりは自分の人間性を否定されていると誤認する傾向にあるようです。

 

そのために感情的に反論してくるのだと思えます。

 

が、この状態になると本人はよくても、相手が超大変で、かなりの精神的な苦痛を感じることになります。

 

この人に意見を言うと感情的に真っ向否定して会話が成立しなくなるため、黙って聞くしかすることがなくなるからです。

 

会話を成立させるために、本人が喜びそうなことしか会話することができなく、相手にとっては会話がとても窮屈になります。

 

③周りに理解力がある人がいるため生活が成立している

 

人の話を聞かない(話が通じない)のに、本人がそのことに気が付かず生活できてしまうのは、周りに恵まれているためと思われます。

 

多くの場合は人の話を聞かない(会話が通じない)と生活が成立しにくいため、社会で矯正されると思います。

 

典型例は仕事でしょう。

 

仕事において、人の話を聞かない(会話が通じない)は致命的です。

 

まず出世はできないでしょうし、営業においても顧客に嫌われ成果を出すのは困難でしょう。そういう外的圧力があるので、仕事をしていれば、ある程度、矯正されると思います。

 

少なくても営業職を数年やっていれば、人の話を聞かない(会話が通じない)ということは、なりにくいでしょう。

 

問題は少人数の会社で転勤もなく顧客に接しない事務的な仕事を長年従事している場合などと思います。

 

社内の人に理解があった場合、「その人の話を聞かない(会話が通じない)こと」をある程度許容している可能性が高いと思われます。

 

加えて、近くいる家族もその理解があった場合、本人は「自分が話を聞かない(会話が通じない)人」であることには気が付かないでしょう。

 

が注意すべきことは本人はそれで良くても、周りは超大変であることです。

 

その点は上記で解説してましたが、大事なことなので、もう一度書きます。

 

この状態になると本人はよくても、相手が超大変で、かなりの精神的な苦痛を感じることになります。

 

この人に意見を言うと感情的に真っ向否定して会話が成立しなくなるため、黙って聞くしかすることがなくなるからです。

 

会話を成立させるために、本人が喜びそうなことしか会話することができなく、相手にとっては会話がとても窮屈になります。

 

本人は周りが超大変であることを理解し、せめて理解力がある周りの人の話くらいは聞いてあげる配慮の心をもてるようにしたいものです。

 

理解力のある周りの人から「あなたは話が長くて困るんだけど。もう少し人の話を聞けないの?」と言われることはないでしょう。

 

本人が自分で気が付かなければなりません。

 

周りのことを気にせずに自分中心で長期間生きてきていると思うので、そこに気が付くには相当の努力が必要になると思います。

 

が、周りの人をことを少しでも思う気持ちがあるのであれば、努力をして気が付かねばなりません。

 

私は2017年より、ひきこもり生活を約5年していますが、そういう独りよがりで、人の話を聞かない(会話が通じない)にならないように、自分を客観視してそうならないように細心の注意を払っています。

 

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