一人法人の社長でもある川島和秀の日々の活動記録です。

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【コミュ力】人の話を聞かないで自分の話ばかりしていると「裸の王様になる」という話。

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↑人の話を聞かない人は「裸の王様」になっている可能性が高いです。

 

普段コミュニケーションをする中で、人の話を聞かず、一方的に自分の話ばかりする人がいます。

 

一方的に自分の話ばかりする原因はいくつかありますが、そのうちの一つが「自分に自信がないコンプレックスが原因」と言われています。

 

自分に自信がないと、相手に自分が知識がないと思われたくないため、また見下されないように必死にひたすら話をするようです。

 

「俺はこんなに色々なことを知っているんだ!すごいだろ!ドヤ!」と知っている限りのことを話しまくるわけです。

 

もしくは、相手に話をする隙を与えてしまうと、自分の意見と違う意見を言われる可能性がでてきます。

 

自分に自信がない人は、自分の意見と違う意見を言われると、「攻撃された、批判された」とみなし、心が傷つく傾向にあるようです。

 

この心が傷つくのを防ぐために、相手に意見を言わせる隙を与えないよう、一方的に話をするというわけです。

 

こういう状態を「自己愛性パーソナリティ障害」と呼び、ある種の精神に問題(トラウマ)を抱えているとも言えます。

 

問題は、話をしている相手側に攻撃する意図はなく、ただ普通に会話として意見を言っているにもかからわず、当の本人が「攻撃された、批判された」と認識してしまうことです。

 

そのため、通常の会話が成り立ちません。「本人の意見に同調する会話のみ」が成立ということになります。

 

つまり、自分を過度に守ろうとする(自己愛が強い)ため、他者とのコミュニケーションが成り立たなくなるという障害です。

 

通常は社会人になり仕事をするうえで、独りよがりだと仕事ができないために必要的に改善されます。

 

が社会人になっても改善されなかった場合は改善を促すのがとても困難です。残念ながらほぼ改善しないと思った方が無難でしょう。

 

可能性は極めて0に近いと思いますが、わずかな期待を込めて、そういう人に「裸の王様」になっているよ!ということを自覚してもらって変わろうというきっかけにならないか?という意図で記事を書いています。

 

自己愛性パーソナティー障害の人は、相手の意見に対して語気を荒くして怒る

 

少し上でも触れましたが、自己愛性パーソナリティー障害の方は、他人の意見を自分への攻撃とみなします。

 

相手の意見に対して「ふーん。そういう考え方もあるだね~」という受け入れ方ができません。

 

「その意見は違うよ!なぜならば〇〇で~。具体例では△△だから~。」みたいに「1」を言うと「99」を返すみたいな状態になってしまいます。

 

「99」返された後に、また違う意見をしようものなら大変です。語気を荒げて怒り出します。

 

この語気を荒げて怒り出すというのは、自己愛性パーソナリティ障害の特徴ともいえます。

 

「ある意味でこれ以上何も言うな!」というシグナルで、こうなったら速攻で意見を言うのは辞めねばなりません。

 

つまりは、自己愛性パーソナティ障害の人は、「一方的に自分では話をするけど、一切意見は言うな!」というスタンスなわけです。

 

本人はそれで良いとしても、、家族を含めた近い位置にいる人にとっては、超めんどうな存在で対応に困ります。

 

通常の普通の会話ができないからです。

 

自己愛性パーソナリティー障害の人が怒るため、周りの人は何も言えない

 

自己愛性パーソナティ障害の人の意見をいうと語気を荒げて怒り出すというは非常に厄介です。

 

会話が成り立たないからです。完全に話が一方通行にならざるとえません。

 

最悪のケースが、自己愛性パーソナティ障害の人が明らかに間違ったことをしている場合です。

 

右にいくべきところを左に行っても、何も言えません。

 

言おうものなら、語気を荒げて怒り出すからです。間違ったことをしていても、黙って見ているしかありません。

 

こんな生活が自己愛性パーソナティ障害の人と家族を含めた近い位置にいる人で行われているわけです。

 

まさに自己愛性パーソナティ障害の人は「裸の王様」になっているとも言えます

 

王様が裸であっても、「キレイな洋服来てますね~」としか言えないわけです。裸ですよ!というと王様が怒りだして収拾がつかなくなるためです。

 

つまりは、まともにコミュニケーションを取ることが不可能で、基本、一方的にしてくる会話を黙って聞くしかやることがないわけです。

 

表面上は会話をしているようになりますが、完全に会話が一方通行でコミュニケーションが成立していません。

 

「裸の王様」のままで良いのか?と思うが、本人は自分が「裸の王様」だと気が付かないだろう。

 

家族を含めた近い位置にいる人からすると、自己愛性パーソナティ障害の人は完全に「裸の王様」です。

 

本人は、そうは思っていないでしょう。

 

そして残念ながら気が付きもしないでしょう。むしろあえて気が付こうとしないでしょう。

 

裸の王様であったとしても、周りから自分とは違う意見を言われてない状態になり、本人的に居心地の良い状態である意味で理想的でしょう。

 

「本人的には、なんら不自由を感じずこのままで良い」と思うでしょう。

 

裸の王様は、お城の外をでて町を歩いているときに、子供から「王様は裸だ!」と指摘されて裸の王様であったことに気が付きました。

 

お城の中にいたままであれば、誰も「裸」であることを指摘しなかったでしょう。

 

家族を含めた近い位置にいる人と接する人は、あえて「王様は裸だ!」と言いません。

 

言わない代わりに、積極的にかかわってくる人は家族を含めた近い位置にいる人でもいないでしょう。ようは誰も近寄らないわけです。

 

個人的には、家庭を築いて家族を作った人であれば、そういう人生は寂しい残念な人生だなと思います。

 

本人の近くにいる周りにいる人もかなりシンドイ思いをしていると推定されます。

 

何とかならないか?と試行錯誤してますが現実問題は改善は難しいでしょう。

 

結局は極力、自己愛性パーソナティ障害の人には近寄らないようにすることが「お互いにとって」良いように思えます。

 

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