私が思う「孤独」な「ひきこもり」から抜け出す方法。
↑「孤独」から脱出した人。
私は元来、ひきこもり体質ですが、昔は「孤独」なひきこもりだったように思います。
その後、孤独なひきこもりではなく、「孤高」のひきこもりができるようになったと思っています。
簡単に説明すると、
・孤独なひきこもり・・誰も近寄ってきてくれず望まず一人になっている状態
・孤高のひきこもり・・自分から望んで一人になっている状態
詳しくは以下で書いています。
ぱっと見はどちらも同じひきこもりですが、心の持ちようが大きく違います。
どうせ、ひきこもるなら、「孤独」ではなく「孤高」のひきこもりでありたいものです。
自分の経験も踏まえて、孤独なひきこもりからの脱出方法をご紹介させていただきます。
目次
孤独なひきこもりになる原因の一つは「自己肯定感の低さ」
孤独なひきこもりとは、本当は多くの人に囲まれて過ごしたい願望があるにもかかわず、周りの人が近寄ってこない状態です。
周りの人が近寄ってこない理由はコミュニケーションの能力が低いからだと思えます。
まとも会話をすることができないために、徐々に人が近寄らなくなるわけです。
孤独なひきこもりになる人の特徴は、「ひとりよがり」、「自己中」でコミュニケーション能力が低いことです。
「ひとりよがり」、「自己中」な人に近寄ってくる人はいないので孤独なひきこもりになって当然と言えば当然です。
「ひとりよがり」、「自己中」になってしまうのは、自己肯定感が低いのが原因と言われています。
自己肯定感の低さがもたらす悪影響
自己肯定感が低いと、他人の意見に敏感に反応するようになります。
ちょっとした何気ない意見でも、「自分を批判・否定された」と認識し、怒り出す傾向にあります。
ようは普通の会話をしていても、急に怒り出すことがおきるわけです。
また怒らないにしても、相手に意見を言わせないために「一方的に話をする」傾向にあります。
相手に意見を言われると、「自分を批判・否定された」と認識するため、意見を言わせないように一方的に話をして防御するわけです。
一方的に話をしたり、急に怒り出す人に、近寄ってくる人がいるはずがありません。
孤独なひきこもりになって当然でしょう。なるべくしてなっています。
まずは、この現状・現実を冷静に受け止めなければなりません。解決方法は以下で提示させていただきます。
解決方法①:自分は大したことない人間だと理解すべし
他人の意見に対して、過剰に反応してしまうのは、「自分をすごい人間だ」と思っていることが挙げられます。
自分がすごい人間だと思っているからこそ、他人に意見を言われると「批判された・否定された」と思う傾向にあります。
そのために、まずは自分は大したことない人間だと思うように努力しましょう。
自分を大したことがない人間と思うにはコツがあります。
通常、孤独なひきこもりになるような人はプライドが異常に高いため、簡単には自分は大したことない人間だと思えないでしょう。
例えば、野球のスター選手であっても、年をとれば衰えてきます。それを60歳くらいになっても、「わしは現役選手に負けん!」と張り合ってもしょうがありません。
それと同じように、「昔はすごかったけど、今は若い人には負ける。それはしょうがない」と折り合いをつけるわけです。
その考えをもって、少しでも他人の意見を怒り出すことなく聞くことができるように練習していくのが解決策の一つです。
解決方法➁:他人どう思われようが何も変わらないことを理解すべし
他人の意見に対して、過剰に反応するのは、「他人に自分のことを良く思われたい」と強く思っているためでしょう。
が、そこは冷静に考えましょう。
他人に良く思われようが悪く思われようが、実際の生活は全く変わりません。
そもそもで、他人は自分が思っているほど、自分に興味がありません。
自分自身が他人のことをそこまで真剣に考えているか?を自問自答すれば自ずと答えはでるでしょう。
そのことに気が付くと承認欲求0の境地にたどり着けます。他人に良く思われようとすることが無駄であり、意味がないことを理解できるからです。
実際に私はソコソコ難関試験の宅建に合格しましたが、合格したツイートを一切していません。
合格した!とツイートすれば、一部の人から「おめでとう」と言われるでしょう。が、言われても、私の日常は全く変わりません。
人によっては合格発表日と合格証書到着で2回も合格をアピ―ルしていますが、私はせずにダンマリしてます。
承認欲求が0でもあり、他人に「おめでとう」されても、何の影響もないことを知っているからです。
その境地に達すれば、おそらく怒り出したりせず、一方的ではなく普通に他人と会話をすることができるようになるでしょう。
すぐにはできないと思いますが、そうなるように徐々に練習していくと良いと思います。
※上記の記事はあくまで私はそうしているという例示です。やり方を他人さまにすすめているわけではありません。