一人法人の社長でもある川島和秀の日々の活動記録です。

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1か月間、誰とも話をしなくても全く寂しくならない理由。

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私は、2017年9月に会社を退職して以来、約5年に渡り、引きこもり生活をしています。

 

平均して、1か月に1回、人に会う程度です。

 

コミュニケーションが苦手なのか?というとそうでもありません。厳しい営業をする世間一般では言われている野村證券で営業を17年やっておりました。

 

その結果、生き残るために、コミュニケーション能力はある程度、鍛えられました。

 

そのため、まあまあコミュニケーション能力はあると思っています。

 

自分の意思を伝えることよりも、相手が何を考えているか?を察することの方が得意です。

 

相手が何を考えているか?を察するには、発した言葉だけでなく、些細な身振り、手振りから相手が何を考えているか?を仮説を立てて、その後の会話で検証していくことをやります。

 

発した言葉も常にそれが本心か?疑いながら話を聞いています。

 

ちょとした会話をする際も、私は上記のことをやるので、とても疲れます。そのため、自分からできる限り人と接しないようにしています。

 

そんなわけで、自分から進んで、人と会話をしたいとは滅多なことではなりません。

 

それに加えて、以下のように思って行動しているため、他人には自分を理解してもらいにくいと思っており、説明するのも面倒なので、誰とも話をしなくてもいいやと思っています。

 

一般的に言われていることをせずに、自分の感覚に従って行動するから、話をしても伝わらない。

 

私は、元来、一般的にこうだ!と言われること(常識)を鵜呑みにせずに、疑って、別のことをやる傾向があります。

 

そのルーツをたどると大学受験だと思えます。

 

あまり行きたくない大学で、自分が問題をやった感覚だと難しくて無理と思ったものの、偏差値的には合格確実の判定だったところを受験し不合格になった苦い経験です。

 

挑戦して不合格になったのであれば納得いきますが、置きに行ったのに不合格になるという散々な経験です。

 

 

つまりは、一般的に言われていることよりも、自分の感覚を信じた方が良くねえ?ということを痛感しました。

 

以後は、一般的に言われていることを疑って、自分の感覚に従って行動するようになりました。

 

一般的に言われていることや常識通りに行動すれば、イチイチ説明する必要はありません。多くの人がそう思っているからです。

 

が、そこから外れた行動をする場合は、イチイチ説明しなれば理解されにくくなってきます。

 

イチイチ説明しても、理解してもらえないことが多いから、話さなくてもいんじゃねえ?と思う。

 

常識から外れた行動をする場合は、イチイチ説明しなればならないことが多くなります。

 

さらに面倒なのが、細かく説明したとしても、理解してもらえないことも多いということです。

 

そして、だんだん、説明しても理解してもらえないを繰り返すうちに「理解してもらう必要なくねえか?」と思うようになります。

 

理解してもらいたいという思いよりも、理解してもらえるように説明する煩わしさの方が勝っていくとも言い換えることができます。

 

この境地に達すると、とても人生が楽になると私は思っています。

 

承認欲求が、ほぼ0になり、自分を基準にして日々の行動ができるようになるからです。

 

多くの人は、他人にどう思われるか?を気にして生きています。

 

私の好きな作家の森博嗣さんも下記の本の中で、「多くの人は自分のほしいもののためにお金を使っているのではなく、 他人から憧れられたり、羨望されたりするためにお金を使う人が多い」と指摘しています。

 

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要は、他人にどう思われるか?は重要でなく、自分が良ければそれで良くねえ?と言うことだと思います。

 

コミュニケーションにおいては、独りよがりはよくありません。自分がよければそれで良いのスタンスで一方的に自分の話ばかりしていたら、大変なことになります。

 

が、自分が満足を感じる価値基準は、他人に良いと思われたら喜びを感じるものはなく、自分が良ければそれで良しと感じられるようになるのが自然と思います。

 

そして、私はその境地に達しています。

 

そのため、他人と会話をして自分を理解してもらいたいという気持ちにも、周りの人にうらやましいと思われたいという気持ちにも全くなりません。

 

会話は自分とする

 

自分と会話をするというと変に感じるかもしれませんが、このブログも自分との会話の一つです。

 

過去の自分と今の自分の会話をブログ記事にしているようなものです。

 

会話をする相手は自分なので、基本、全てを理解しているので、理解されない歯がゆさみたいなことは起きません。

 

そして、時の経過とともに、考え方が少しづつ異なってきますので、読み返してみると意外に面白いものです。

 

それで十分に私は満足しています。

 

ゆえに、ひきこもっていますが、寂しいと思ったことは1度たりともありません。

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