行政書士試験は不合格になったら徹底的な自己分析(自分の実力の客観視)が必要と思える。
行政書士試験は、ひたすら勉強していれば合格するという試験ではありません。
合格者を受験者数の約10%までという制限が設けられています。(明確にうたわれていませんが、データがそうなっています)
180点以上をとれば合格という基準があるため、いっけんすると誰でも一定基準に達すれば合格するかのように思います。
が、実際は配点が60点ある記述で、合格者数をコントロールしています。
つまりは全受験者の中で上位10%に入らなければならない相対試験なわけです。
ということは、誰もがやるであろうことを誰もがやるであろう勉強時間で試験に臨むと高確率で上位10%には入れない(つまり不合格)ということになりやすいわけです。
かといって、通常よりも多い〇〇時間以上勉強すれば合格するか?というはそうではありません。
もし〇〇時間以上勉強すれば合格というのであれば、5年以上受験して不合格になっている人の説明がつきません。
5年以上受験して不合格になっている人は、通常、勉強時間なら相当な時間になっているでしょう。
合格するために徹底した自己分析(自分の実力の客観視)が必要だと私は思っています。
徹底した自己分析(自分の実力の客観視)ができていないとどういうことがおきるかをまず説明します。
目次
徹底した自己分析(自分の実力が客観視)できていないと何がおきるか?
端的にいうと無駄な勉強(点数に結びつかない勉強)を長時間することになります。
そして恐ろしいことが勉強している本人は無駄な勉強(点数に結びつかない勉強)をしていることに気が付かないことです。
実際には1年目の私がそういう状況でした。
私はR2に行政書士試験を合格率60%以上をうたう予備校の講座をとって、勉強を1200時間~以上勉強したにもかからず余裕で不合格になりました。
そのときに思っていたことは、合格率60%以上もある予備校の講座をとって、かつ合格に必要な勉強時間600~800時間と言われているのを上回る1200時間~勉強すれば、余裕で合格するだろうという思い込みでした。
当時やっていたことは、合格率60%以上もある予備校の講座には講義動画と過去問しかないため、これを完璧にすることでした。
過去問をやっても、正答率50%のため、理解が不十分なんだろうと講義動画を何回も視聴しました。
累計で600時間以上は講義を視聴したと思います。概ね3回~5回視聴しました。
勉強時間もざっくりですが計算して、累計で1200時間を超えていました。
過去問は繰り返すことでギリ正答率が80%~90%くらいになりました。
この状態で試験の約1か月前になり、実力だめしに模試を受けたら、さぞかし高得点になるだろうと期待したのと裏腹にボロボロの点数になりました。
そのときは、残り1か月でとてもではないですが修正できる時間はありませんでした。
そして、受験した結果が152点の惜しくも何ともない不合格です。
予備校の高額の講座をとって、勉強時間を1200時間~もやっているのに、お寒い限りの結果となりました。
この悔しい結果を受けて、私は徹底して自己分析をして、自分の実力を客観視することの重要性を理解しました。
そこで、私は徹底した自己分析を開始しましたが、周りを観察していると、どうやらこの自己分析(自分の実力を客観視する)ことができない人が一定数いることに気が付きました。
自己分析(自分の実力を客観視)することができない理由とは?
私は不合格になったら、当然のごとく敗因分析と言う名の自己分析(自分の実力の客観視)をするものと思っていました。
が、できない(しようとしない)人が一定数いるようです。
理由をさぐってみると、だいたい以下であることが予想できました。
・自分の非を認めるとショックで傷つく
・傷つかないために、自己分析(自分の実力を客観視)しない
おそらく、核心は傷つきたくないです。
自分が正しいと信じて多くのお金・時間を費やしてやってきたことを「間違っていた」と認めることができない心理と思えます。
本来は、前に進むための原因分析をしているだけなのですが、おそらく「自分のやってきたことを間違っていると思うこと=自分の人生を否定される」と飛躍して思っているように私は推察しています。
ゆえに自分の人生を否定されるとメンタルが崩壊して立ち直れなくなってしまうため、断固として自己分析しないのでは?と私は想像しています。
※試験を受けても自己採点しない方の一部の人はおそらく悪いであろう点数を受け入れたくなく、悪い点数で傷つかないための防御の一種とも思えます。
※自己採点しない方の全員がそうだと言っているわけではありません。
決してその人の人生を否定しているわけでもなく、単純に合格するために、何が原因で失敗したか?を分析しているだけなので、ソコの勘違いをまず改めてほしいと願うばかりです。
これは試験だけではなく、普段の生活においても、こういう考えをする方が一定数いると思えます。
その人のやっていることに「別のこういう方法をやってみれば」と言おうものなら、ひどい剣幕で真っ赤な顔になって、「私はこの方法で長年ずっとやってるんだ!」と感情的になる方がいます。
そういう方も自分を否定されたと過剰に反応していると思われます。
※実際に私はどのように自己分析(自分の実力を客観視)をしたか?
不合格になった年に実際どんな勉強をしていたか?をまずは文字にしてまとめました。
次にそれを踏まえて、何が原因で不合格になったか?も文字にしてまとめました。
これに加えて、2年目の最中も自己分析(自分の実力の客観視)に努めました。
そこで気が付いたのが、行政書士試験の特性で、それらは以下でまとめています。
自己分析や自分を客観視する方法は千差万別だと思います。
自分なりの方法でやれば良いと思いますが、自分が傷つくことを過度に恐れて、見て見ぬふりするとかなりの遠回りすることになると思えます。
それも個人の自由ですが、自己分析や自分を客観視することができた方がより実りある人生になると思えます。
自己分析(自分を客観視)できないと他責思考になる
試験でよく見る光景が、点数が悪かったときに、試験センターの問題が悪いとする考えです。
典型例が「予備校でさえ、回答を間違うような問題を出す試験センターが悪い」というものです。
「本当は180点以上とれていたのに、意味不明な記述採点で不合格にされた」や「本当なら180点以上とれていたのに、マークミスで運悪く不合格になった」なども挙げられます。
厳しい言い方をすれば、「記述採点でそうなると言われているのに、ギリギリの点数しか取れなくて実力不足なだけでしょ」となります。
マークミスについても、「要は時間がないから、見直しができないだけで、時間配分をミスっただけでしょ」とも言えてしまいます。
おそらく、面と向かってこれらを言えば、相手は顔を真っ赤にして感情むきだしで怒るでしょう。
が、これらは人に言われるまでもなく、自分で自覚できないといけません。
他人の責にするのは楽です。
がそれをやっていると試験であれば、合格までにかなりの時間を要し、最悪は万年受験生になってしまうと思います。
合格のために、独りよがりで自分の都合の良いように考えるのではなく、しっかり客観的に自分と向き合う必要があると思えます。
実際の生活においても大事なことだと私は思っています。